久しぶりに週末を浜松で過ごすことになり何をしようかと考えていたのですが、ふと以前から行ってみたいと思っていた現存十二天守の一つで国宝にも指定される犬山城と、その近くに住んでいるしばらく会えていない友人のことが頭に浮かび、会えたら会おう!と連絡して犬山に出かけてみることにしました。


浜松始発の6時1分の電車で出発、豊橋から名鉄に乗り換えて犬山駅に到着したのが 8時17分。普段だとカーシェアで車を借りて出かけてしまうことが多いけど、電車でウトウト寝たり本を読んだりしながら出かけるのも悪くない。
駅前で地図を見ると城下町があると書いてあったのと、9時にならないと犬山城は開門しないので少し城下町をぶらりと散歩しながら犬山城に向かってみました。とはいえ、肝心の犬山城がまだ開いていないので、城下町の店も殆ど閉まっていました。この日は、非常に寒くて朝8時を過ぎているのに、凛と張り詰めたような冷たい空気が漂っていて、人のいない城下町がなかなかいい雰囲気を出していました。
軒先に守口大根をこんな感じで出しているお店が2つあったのですが、以前から気になっていた守口漬に犬山で出会えるとは思いもしませんでした。てっきり守口大根とは「守口」という地名で取れる大根のことを指しているのだと思ったら、守口大根の産地は実は犬山のお隣の「愛知県丹羽郡扶桑町」と「岐阜県各務原市」。で、その名の起源は、かつては大阪の「守口」という場所で栽培されていたからということみたいです。ぐるぐるっと細い大根が巻かれてお漬物になっている守口漬、(まぁ当たり前ではありますが)実際の大根もこんなにひょろ長いのかと見て驚きました 笑。


犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537年)頃に木ノ下城を移して築城したと伝えられる城で、戦国時代に何度も城主が代わっていく中で 1600年頃の関ヶ原の戦いの頃を中心に城郭が整備されていったという城です。小牧長久手の合戦の際には、豊臣秀吉が12万もの大群を率いてこの城に入り、小牧山に陣を敷いた徳川家康と対峙したと言われています。

犬山城は明治4年、九代目の成瀬正肥のときに廃藩置県で廃城となって、櫓や城門など天守閣を除く建物は殆ど取り壊されて公園となりました。明治24年の濃尾地震で天守に大きな被害が出て、それを修復することを条件に旧城主の成瀬氏に譲渡されて、多くの市民からの義援金によって修復が行われたそうです。
犬山城は国宝に指定される、松本城・彦根城・姫路城・松江城・犬山城の中でも最も古い城で、自分としてもこれで現存十二天守のうち国宝に指定されるお城で訪問できていなかった最後の城でもありました。これで、現存十二天守で行ったことが無いのは、後は弘前城と備中松山(備中松山城は、幼少期に岡山に住んでいた時に城好きである親が連れて行ってくれてそうですが…)のみ。





犬山城は地上4階建て、外観では三重になった高さ24メートルのお城。天主の石垣の高さは約5メートルで自然石をほとんど加工せずに積み上げた野面積みという工法が使われていて、その様子がい天主に入ってすぐの場所でわかるようになっていました。1F には石落としの間が復元されていて、当時の様子がわかります。




犬山城の天守最上階は、欄干が低くて注意しながら歩かないと落ちそうで怖い。他の城でありがちな網なども張られておらず、360度素晴らしい景色が広がります。この日は少し霞んでいたため、はっきりは確認出来ませんでしたが、御嶽山や御在所岳も見渡すことができるようです。小さな富士山のような形をした「伊木山」や、木曽川にかかるライン大橋や犬山橋、またその佇まいが千葉の成田山新勝寺を思い出させる、名古屋別院の犬山成田山が印象的でした。
その後、幸いにして久しぶりに友人と会うことができて、あれやこれやと久しぶりに色々と話をしていたら、あっという間に時間が経ってしまいましたが、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。

朝早い時間は城下町はとても静かだったのですが、お昼ごろになると多くの観光客で賑わっていました。守口大根のお漬物を買ったりして城下町を抜けた後は、友人も進めてくれた成田山やモンキーパークにある岡本太郎の「若い太陽の塔」を見に行ったりと犬山をのんびりと楽しむことが出来ました。


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